下赤坂城

別名− 付近住所 大阪府南河内郡千早赤阪村大字東阪25 現在 千早赤阪中学校
碑・案内板アリ  日本城郭大系


楠木正成

標高185.7m、比高61.4m。金剛山地から延びる丘陵の自然地形を利用して築城された中世山城です。この城は鎌倉時代後半から南北朝時代にかけて活躍した楠木正成(1294?〜1336)によって築城されたといわれています。元弘元年(1331)、鎌倉幕府倒幕計画が発覚し後醍醐天皇が笠置山へ逃れました。正成はこれにあわせてこの地で挙兵し、護良親王も当地に身を寄せたと伝えられています。幕府軍が攻め寄せてきた合戦の様子は「太平記」に記述されています。しかし、にわか造りのため落城、正成は金剛山へと後退しました。その後、元弘2年(1332)に正成は再起し、この城を奪還しました。ふたたびこの城は落城しますが、千早城での籠城の間に鎌倉幕府は滅亡しました。城としての遺構は明確になっていませんが、千早赤阪村役場の上付近が主郭(本丸)であったといわれています。昭和93月に国史跡に指定されました。